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【27日-20:30頃】
母から携帯に電話がはいった。
最近あまり上手くいっていなかったので、また何だろう…と、うかない気分で電話にでた。
「○○が死んでいる…」(以後、弟とします)
一瞬自分の耳を疑った。
でも、泣きながら話す声に我にかえっている自分がいるのだろうかさえ分らない。
とにかく、自分でも信じられないような声を出しているのだろうという事だけは朧げに覚えている。
「いやだ−。病院、病院に電話して−。イヤだ−▲¥×J%@@$!ッ」
「もう手遅れだって、警察の人が言っている。もうすぐ病院の先生も来るから…」
もう何が何だか分らない。
何も聞けない、聞きたくない。私は主人に電話を変わってもらう。
電話が終わるまで、私は「いやだー」という言葉と、とんでもない程の大きな声で叫んでいる事しか、できない状態だったと思う。
電話が終わった時、私の精神は大きく崩れていた。
ただただ泣叫び続ける私が動けたのは5分は足っていたであろう。
その間、主人は父や姉への連絡を済ませ、いつでも出て行ける状態としていた。
やっとの事で動いた私はトイレへ閉じこもり、吐いた。
まるでお腹の中にあるものを全て排除するかのように。
【27日-20:50頃】
身支度をして、車で実家に向かう。
途中で父・姉と合流。高速道路にてかなりのスピードは出ていたであろう。
私は何もしゃべれない、何も考えられない。
その状況の中でピクニックにでもいくかのようにはしゃいでいる子供が憎らしくさえ思い、思わず怒鳴ってしまう。それ以降は誰も何も言わず、ただ無言の時間が流れていった。
私はただ、静かに静かに泣き続けるだけだった。
【27日-22:10頃】
実家に到着。
私を除き、皆が部屋へと向かっていく。
私は、動く事が出来なかった。まだ、信じられない、、信じたくない自分がいるのか、現実として認識したくはなかったのかは分らないが、とにかく動けなかった。
1人残された車の中で、私はただただ泣いていた。
やがて主人が車に戻ってきて、状況を説明してくれた。
ようやくアパートの部屋にのぼっていくまでに30分は要した。
アパートの階段を上がっていくと、玄関の戸が空いていて、警察が慌ただしく動いているのが見えた。
突然死なので、現場検証をしている為、中にはいる事が出来ない…との事。
こういった現場は、テレビのドラマでよく見る場面。
それが今、自分の目の前で行われている。
弟の足元が、、、見えた。
その周りを数人の警察官が囲んでいるようだ。
こういった場面では当たり前なのかもしれないけど、弟を全裸にして、周りを囲んでいるらしい。
私の胸に爆発する怒りのようなものが、込み上げる。
でも、中に入る事もできずに、外で、ただただ時間が経過していくのを、待たなくてはいけなかった。
外での時間は非常に長く感じ、近くの公園のトイレに何度もいき、その度はいていた事は覚えている。
【27日-23;20頃】
外で待っているうちに、パトカーが1台、到着した。
「あれだけ警察官がいるのに…」不快な気持ちがどんどん込み上げてくる。
「昔から、警察は大嫌いだったけど、これほど嫌な存在に感じる事はない」と、心の底で呟いた。
ただ、今回の突然死は、自殺か他殺か、現場検証をしている最中なので、私達の為に、していてくいれているのだと、何度も心に言い聞かせた。
私にはすごく長い時間に感じた。
それから30分後、やっと医師が到着した。
日曜という事、夜遅くという事で中々医者が捕まらなかったらしい。医者は慌ただしく階段を上がっていき、また長い時間待たされなくてはいけなかった。
玄関を覗き込むと、医者が第一発見者の母や警察と大きな声で話をしている。
「あれだけの薬を飲むのは、普通の人では考えられない。」先生も、かなりびっくりしているようだった。「医者の指示に従わず、いつも2週間分の薬を1週間で飲んでいた」と、母が答えていた。
やっと家に上がる事ができたのが、先生が帰った後だった。
【28日-0;10頃】
警察官が「今から死因について、説明します」と言われて、皆、警察官の前に並んだ。
死因について、説明があった。
どのような形で倒れたのか、倒れていたのかは、、、、書けません。
死因は心筋梗塞との事。
やっと弟と再開できる。
部屋の奥に、警察官に案内された。
そこには、変わり果てた弟の姿があった。
かぶせられた布を少しずつめくりながら、警察官から説明があったが、何を言っているのか頭に入らなかった。
死後1日以上たっているので、弟の身体の色は、変色していた。
顔の損傷は一番激しく、形相も…。まるでリングという映画に出てくるような…映画の世界のワンシーンを見ているような錯角を感じた。
警察官が「今日が通夜で明日が葬式になります」と言った言葉を聞き、初めて今の状況を理解できたように感じた。
【28日-0;35頃】
警察が慌ただしく去ったあと、家族だけ残される。
唯一まともに、話が聞ける状態だった、主人に警察は、明日するべき事を伝えていったようだ。
「これからどうすればいいんだろう…。まずは、身体を拭いて綺麗にしてあげないと…」
主人と私は、消毒用エタノールを買う為に、お店を探した。
深夜になるので、空いているのは、コンビニしかない。
薬局も兼ねているコンビニがあるのを思い出し、急いで車を飛ばす。
お店には置いていないので、店員に確認をとる。
たな卸しをしていた、経営者と思われる男性がきて、事情を説明すると、奥からもってきてくれた。
アパートに帰って、身体を拭いてあげる。
もう身体は冷たく…固い。
もともと大きな身体だったので、私達家族では背中まで拭いてあげられない程、重い。
主人に頼んで一緒に持ち上げてもらい、どうにか落ち着いて横にさせてあげる事ができた。
泣きながら上着を、上からかけてあげる事しかできなくて、とても辛かった。
「これからどうする…」
こういった経験は誰もしていないので、これからどうしたらいいのか分らない。
病院で亡くなったのであれば、何かしら今後どうするのか話がでてくるのかもしれない。
「お金がかかるだろ…葬式は出せないな…役所に相談するか」
信じられないような言葉が父親から発せられる。
「葬式をしたいのなら、お前がお金出してやれ。俺はお金ないから!!」
本気で怒りが込み上げ、取っ組み合いの喧嘩になりそうになる。
それを制止した主人に引き連れられ、家がぐちゃぐちゃで何も用意もないまま出てきた事もあったので、一度家に帰る旨を伝えて、家に帰る。
帰りの車の中では、何ともいえない気持ちになり、泣き続けた。
(葬式はうちだけで行う!)
冷静に今思い返してみると、父は元々憎まれ口をわざという事が多々あり、本当に辛いのは父親本人だったであろう…自分の心情を知られたくないが為の言葉だったのでは、と。
ただ、その事に気づくのは丸一日後の事ではあった。
【28日-3;15頃】
家に戻り、子供を寝かす。
それからお風呂に入り、PCを一度チェック。
仕事を止めなくてはいけない…。
数件のメールの返信と、メールマガジンまぐまぐ、HPにお知らせをして、2時間後すぐ実家に戻る。子供はさすがに非常に眠そうだった。
【28日-5;25頃】
実家に戻って葬儀について検討。
葬儀会社に電話をして問いあわせる。
が、火葬証明書がとれないと、予定がたてられないとの事。
ただ、突然死の場合は、まず検死して頂いた先生から死亡診断書を書いてもらい、警察にそのコピーを提出する、そして役所にて、火葬証明書を書いてもらわなくてはいけない(今回のケースの場合)朝にならないと、病院も役所も空いていない。
「やっと弟の側にいる事ができる…」私は弟の腕をずっと握っていた。
以前から弟にパワーストーンをプレゼントしていたので、弟の左腕にしてあげた。好きだったタバコもあげ、ビールも備え食べ物も備え、線香もろうそくもetc...
「私以外に、誰も座るな。私は離れない」そんな気持ちで夜明けを待った。
誰かが私に何度か話し掛けてきたとは思うが、気づく事はなかった。
【28日-8;50頃】
朝になり、指示通り、行くべき所をまわった。
まずは医師の診断書。実際に書いて貰って手にするまでは30分程度の時間に過ぎなかったのだが、この時間が非常に、非常に長く感じ、何度か舌をならしていたのを覚えている。
それから警察に向かい、診断書のコピーを提出。
(これでやっと火葬が出来るようになった)
と思ったら、役所にいって火葬証明書を取る必要があるとの事。
急いで、役所に向かい証明書を取る事をした。
役所についた時間は11時。
すぐに出ると思っていた証明書は、30分を必要とするとの事。
しかも、火葬の日時もその場で決めないといけないと聞き、ここで葬儀会社に連絡をする。
が、当日となるとお経を唱えてくれるお坊さんがいるかどうかちょっと難しいとの事。
今日は葬儀会社で弟を保管してもらい、翌日ゆっくりと葬儀をやられては、という葬儀会社の方の意見に納得し、その通りでの日程とするようにした。
葬儀会社がアパートに来てくれた、午後1時になった。
とても親切な対応をしてくれる方で、事情を察し適切なアドバイスと対処をしてくれた。
担荷で下の車まで運ぶ。
葬儀会社の男性二人では、持ち上げる事ができず、父親と主人も一緒に運ぶ。
急な階段をおりる途中、無理な姿勢で運ぶ事から、とても男性4人では運ぶ事ができない。
背中がひきずられるのを見て、とっさに担荷を持った。
そして車まで運んだ。
主人と私と父親の3人が車の後をついて、葬儀場に到着。
そして葬儀の打ち合わせ。
とても親切な担当の方で、家族葬を希望した私達に、最小限の内容を説明する。
そして、この会場で今日通夜をして、明日葬式というアドバイスをしてくれた。
(料金は同一という事で)
担当の方の人間性がでているのだろうか…葬儀会社の仕事、そして担当の方に対して、感謝の気持ちが込み上げたのを覚えている。
【28日-17;00頃】
一度アパートに帰って、葬儀場に向かい、通夜を行う。
お坊さんのお経を聞く機会は、今までないに等しいぐらいの私だったけど、これほど心が救われるような想いになった事はない。
涙が溢れだし、声をだして泣いた。
ただ、ただ泣いた。
20分くらいが経過した時だろうか、姉の会社の方が二人、通夜に参加してくれた。
焼香をする姿を見て、感謝の気持ちが込み上げた。
誰も来ないものと、思っていたので。
弟の為に焼香してくれる人がいる事を、嬉しく感じた。
そして、ただ、ただ泣いた。
実家に戻り、明日の葬儀の為、そして子供の体調も気掛かりだった私達は、一度自宅に帰った。
布団にはいっても、涙が込み上げてくるばかり。
メールをチェックした。
数人の方が、メールを送ってくれていた。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして、ほとんど寝る事もないまま、朝を向かえる事になった。
【29日-10;00頃】
葬儀が行われた。
お坊さんのお経を聞いているうちに、心が安らいで落ち着いた。
昨日はただただ泣くだけしかできなかった私だが、今日はお経の邪魔はしたくない、安らかに眠ってくれる事を祈りたい…そういった気持ちで望んだからだろう。
この時は一切泣く事はなかった。
葬儀が終わり、弟ともう一度対面をする。
昨日、担当の方にお願いした所「見られない方がよいと思われます」と言われていたのだが、今日は対面する事ができた。
顔を覗き込むと、安らかな寝顔があった。
ある程度、手当て(?)をしてくれたのだろう、、葬儀会社の方に、感謝する気持ちでいっぱいになった。
「こんな顔をして寝ていたんだな…」そう思うと同時に、弟の前に倒れこんだ。
棺桶に手をかけながら、大きな声で泣いた。
腹の底から、大きな声を出して泣いた。
やがて主人に肩をたたかれ、生前愛用していたものを、棺の中にいれた。
そして火葬場に向かう。
火葬場は厳粛な雰囲気がただよう場所で、一気に緊張感が増した。
火葬場の担当の方から、順に説明がある。
まず一番最初の部屋で、お線香をあげる。
「対面はよろしいでしょうか」と聞かれるが、もう顔を見る事はしなかった、いやできなかった。
そして火葬場所に到着する。
1時間半前後で、焼却が終わる旨を告げられ、別室で待機する事になる。
館内の放送が流れるまでの時間がとても長く感じた。
そして案内が流れて、別の場所に移動。
遺骨との対面。
担当の方が、部分別に説明しながら、骨を砕き初める。
そして二人ずつ、箸ではさみながら、骨つぼに移す。
淡々と作業をすすめるというか…もう涙はでなかった。
【29日-15:00頃】
アパートに帰ると、慌ただしく、初七日が行われた。
お経をあげてもらい、説法のようなものを聞いた。
よく49日というが、衆派によって、解釈が違うようで、35日で忌明けするとの事。
これから毎週行事が続くが、この行事は故人の為のものであると同時に、残された遺族にとっても、とても大事なものである事を痛感した。
その後、アパートにて食事を取り(ただ、殆ど食べれなかったが)、少しした所で主人が家に戻ろうといった。私は「何故ゆっくりさせてくれないのか」と心の中で怒りながらも、家に戻る事にした。
私の体調を気にしての事だったらしいのだが、無性に腹が立ったのを覚えている。
【29日-19;00頃】
自宅に帰って、どっと疲れが出る。
帰ったと同時に布団に入り、2時間程倒れるように寝た。
そしてメールチェック。
仕事もとても気になる。
ちょうど、出張鑑定の募集もしていた所だ。
東京に至っては、ホテル側との交渉も成立していて、こんな話は二度とないかもしれない。
ただ、今はどうしても占いができない、こんな気持ちでは占いができない。
ホテルにキャンセルの連絡をいれようとしても、入れられない…。
自分の気持ちの行き場がない。
上田翔子である私は、仕事をしたがっている。
そして、自分が健全である状況でないと、占いもしない。
そして、本来あるがままの私は、占いができない、仕事をしたくない。
弟の為に、今できる事をしたいという気持ちが、複雑にからみ合う。
遍路でまわるべきなのか、尼になるべきなのか、写経をするべきなのかetc...
普通に仕事をしてしまっていいのだろうか、恐らく出来てしまう自分が憎い。。
何かしなくてはという気持ちと、何も動けないという気持ちがグルグルまわり続ける。
もう気持ちの収集はできない状況。
お客様の中で、唯一、誰にも話していなかった今後の詳しい方向性、そして私の最近の素顔をさらけ出していたK氏に、今の複雑な心境を伝える。
私が立ち止まる事が、お客様にどんな影響を与える事になるのか、とても心配になってしまったが為。
涙の中で、私が今後しばらくしたいと思う事を探してみた。
主人ともいろいろ相談した。
何かしなくては…。でも、占いは今はできない。今後どうしていけばいいのか、分からない…。
これを書いている今も何がいいのか探している…。
上田翔子という存在について、今もう一度考えている。
今まで占いという仕事をしてきて、いろいろな人と関ってきた。
「人間は、悩むから人間であり、それが人間らしく生きている証だ。私は、そんな人間らしさをずっと失わずにいたい。人間臭い部分を、持ち続けて生きていく事が、生きた証になるんだ。」と改めて痛感している自分がいた。
一般的には間違いといわれるかもしれない。
遍路や霊所廻り、お経を唱える、写経をする、、供養とはそのようなものをいうのかもしれない。
が、遍路はするかもしれないが、それが本当に自分の出来る精一杯の事で最善となるのだろうか?
私に出来る精一杯の事は他にあるのではないだろうか?
当然、これが正解かどうかは分らない。
自分自身にも分らない。
が、何もせずにいる自分がどうしても納得できない。。
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今回、今、何が自分のしたい事、するべき事なのか、出した結論の一つが、この「私の素顔」を公開する事でした。
弟という1人の人間が生きてきたという事を皆に知ってもらいたい、私は占い師という仕事を続けてきたけど、メッセンジャーという立場を自分自身が一番望んでいたのかもしれない…と。(過去メルマガには書いたかもしれませんが、元々この仕事をする大きな意味は「弟の更生」の為でありましたので)
あまりにもリアルすぎて、どんな反論が帰ってくるのか、悪い事ばかり考えてしまう自分もいます。
やはり厳しい指摘は、胸に激しく突き刺さる…私も心の弱い部分をたくさん持っていますので。
もし、不快を感じた方がいるのであれば、馬鹿な人だと思って、見過ごしてください。
あと、一番気になっているのが、同じような経験をされた方がこれを読まれたとして、既に傷が癒えていたのをぶり返してしまうのではないか…と。
そのような方がいたら、本当に申し訳ございません。
2004/07/01
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